史的イエスの入門書籍

勉強用のメモ。日本語で入手できる翻訳書籍は別記事に移した。

muratori.hateblo.jp

Web サイト

WikipediaBiblical criticism で参照されている。

英語で入手できるもの(Kindle

『Lord Jesus Christ: Devotion to Jesus in Earliest Christianity』の日本語での書評は 〈書評〉ラリー・W・フルタド著『主イエス・キリスト : キリスト教最初期におけるイエスへの信心』 (岩島忠彦)で読める。

Lord Jesus Christ: Devotion to Jesus in Earliest Christianity

Lord Jesus Christ: Devotion to Jesus in Earliest Christianity

以下2冊は WikipediaQuest for the historical Jesus で参照の多い本。

Jesus as a Figure in History: How Modern Historians View the Man from Galilee

Jesus as a Figure in History: How Modern Historians View the Man from Galilee

高等批評

Handbook of Biblical Criticism, Fourth Edition

Handbook of Biblical Criticism, Fourth Edition

見下される者が神の裁きの器に用いられるということ

ヨハネ福音書9章は生まれつきの盲人が癒される奇跡物語だが、注意深く読むと、癒しによる神の栄光の現れとはまた別のテーマが立ち現れてくる。

9章全体の流れをおさらいすると、盲人とイエスとの出会いに始まり、盲人とイエスとの再会に終わるという物語の構図がある。

  1. エスが盲人と出会い、目に泥を塗って洗い落としように指示する。その通りにすると盲人の目が見えるようになる。
  2. 周りの人たちが盲人にどうして見えるようになったのか問い詰め、盲人が答える。
  3. パリサイ人が盲人にどうして見えるようになったのか問い詰め、盲人が答える。
  4. 盲人の両親が呼び出され、またしても盲人がパリサイ人の前で答える。
  5. 盲人が追放される。
  6. 盲人はイエスと再会し、信仰告白する。

盲人とイエスの邂逅と再会が、物語の冒頭と結末とに配置されている。そのあいだには、この世に対する盲人の証言とでも言えるものが三度繰り返される。

物語の冒頭と結末で語られているイエスのことばに注目しよう。冒頭でイエスは盲人について「神のわざがこの人に現れる」と予告する。このことばは、必ずしも盲人がイエスの御手により癒されることに限定せず、この物語全体の中に現れる神のわざを予告している。そして結末では、「わたしはさばきのためにこの世に来ました」と語られる。その理由は、「目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです」と説明される。

いま注目したいのは、盲人の癒しと証言とが神の裁きとされている点である。盲人が癒され、癒してくださった方のことを堂々と証言するが、近所の人たちもパリサイ人も受け入れない。それどころか、彼を見下し、拒絶し、追放する。言うまでもなくパリサイ人はこの世の象徴である。つまりパリサイ人が盲人の証言を拒絶する過程を通じて描かれているのは、この世が神の栄光のわざを拒絶する様子である。

そして、証言したのは他ならぬ盲人である点も忘れてはならないだろう。彼は物乞いをして生活し、忌み嫌われ、見下されてきた。その彼が、神の裁きの器に用いられたのである。この逆説は福音書がたびたび取り上げるテーマである。何度思い巡らしても古びることがない。

ところで、証言の拒絶がどうして神の裁きとなるのだろうか。イエスのことばによると、「見える者が盲目となる」ことそのものが裁きの内容であるからである。ここで思い出すのは、ヨハネ3章18節の「信じない者はすでに裁かれている」ということばだ。この裁きは、私たちがよくイメージする裁きとは違っている。不幸や死や、最終的に火の池に投げ込まれるといったわかりやすい裁きのイメージには当てはまらない。この裁きを別のイメージで語るなら、密やかに満たされていく進行性の神のみわざというのがふさわしいかもしれない。

裁きとは罪に対する正当な報いでもあるのだから、「見える者が盲目になる」こともまた、何らかの形で罪の報いとなっているはずである。罪と報いという観点で言えば、ここには、見えると自認するが神を拒絶している罪と、見たいと願っている者が見ることができなくなるという報いがある。物語の文脈を少々逸脱すれば、愛があると自認する者が本人の最も欲するはずの愛を持たないという報いを受けたり、あわれみがあると自認する者が本人の最も誇りとするところのあわれみを欠いているという報いを受けたりする。いや、自認することが罪なのではなく、自認することによって神を見上げることができなくなることが罪なのだが。ともあれ、持てると自認する者がその自認ゆえに「見下されている者」の証言に鈍感になり、そのため本人の最も持ちたいものを得ることができず、その事実を隠されることをもって罪の報いとされるような、そういうことが私たちにも起こりうると思う。

境界性パーソナリティ障害が問う〈答えのない問い〉

境界性パーソナリティ障害について調べた昔のメモをあさっていたら、リンク先の資料を見つけた。

何か心に残るものがあったので紹介することにする。この論文は、境界性パーソナリティ障害(BPD)の〈生きづらさ〉を人格やメンタリティといった個人の問題に還元しておしまいにするのではなく、私たちが生きる社会環境や社会規範のほうにも原因があるのではないかと問題提起している。いくつか引用すると次のような感じだ。

個人が「異常」だから〈生きづらさ〉を感じるのではなく、〈生きづらさ〉を誘引するような社会的規範が存在するのだと考えることができるのである。

 

たとえば、BPD患者について、自己と他者とが未分化であると言ったとき、当の私たちは、明確に分化し、責任ある主体としての自己を確立していると言えるだろうか。また、そうした主体を形成するような教育を受けてきたり、社会環境に置かれたことがあったりすると断言できる者は、いったいどれだけいるのだろうか。

 

私は、BPD ゆえの〈生きづらさ〉を、こうした言明によって相対化したいのではない。そうではなくて、責任ある主体としての自己を形成させないような教育や、その結果、社会と主体的にかかわりながら責任ある行動を取れないひとたちが集まっただけの「社会」において、なぜ BPD 患者だけがその性質を医療によって問題視されなければならないのか、ということである。

論文著者は「責任ある主体としての自己の確立」をすべての人に要求する現代社会を批判している。確かに今の社会はそういう要求をしているし、私たちはそれを自然と受け入れてしまっている。大人になるということは主体的に責任を引き受ける個人になるということだ。逆にそれができない人は「幼い」とか「未成熟」とか言われる。そういう成長観を特に疑問なく私たちは共有している。

パーソナリティ障害が「発見」されたのは20世紀のことだ。ということは、社会が個人に「責任ある主体としての自己」を求めるようになったのも、20世紀なのかもしれない。勝手な想像だが、「自立した個人」みたいな概念が18〜19世紀は知識人のあいだで共有されていたのが、20世紀になってから社会全体に広まったのではないだろうか。

それはともかく、論文著者はBPDの〈生きづらさ〉は今の社会に向けての問いかけであると考えておられるようだ。これは確かに言われてみればそうなのだか、勇気ある視点だと思った。自分の身に置き換えてみると、自分が何がしかの〈生きづらさ〉を感じたときにそれを自分の抱えている個人的な病気や性格だと考えて終わらせずに、社会への問いであると発想するのはなかなか勇気のいるものだと思う。いや、自分ではそういう発想になれないからこそ、他の人に「その〈生きづらさ〉は社会への問いかけなんだよ」と言ってもらうと、社会に問う勇気が与えられるかもしれない。

広げて思い巡らしてみると、〈生きづらさ〉だけでなく、生き方そのものが問いであるような人生を生きている人はたくさんいる。ヨブだってそうだ。ヨブは神に問うたけれども、その生きざまは今もあらゆる信仰者に問いを投げかけ続けている。義人は信仰に生きるし、また信仰によって問うてもいる。

BPDの人は問いの密度が高い。一緒にいるだけでさまざまな問いがぶつけられる。本人も答えのない問いを生きているが、周りの人たちを意図せず巻き込み、一緒に答えのない問いに引き込む。正しい答えは見つからないかもしれないが、問いと応答の回路を形成することができる。その回路が形成されるまで、門を叩く音がやむことはない。