2018-03-03から1日間の記事一覧

ヨブ記読書ノート

ヨブ記 13:2 あなたがたの知っている事は、わたしも知っている。わたしはあなたがたに劣らない。 友人たちに諭されるヨブ。しかし、ヨブには慰めにも励ましにも悟りにもならなかった。 悩んでいる者への善意のアドバイスは、ときどき煩い。そんなことは言わ…

悪に嫉妬することについて

この短い文章は、自分の嫉妬の感情に苦しんでいるあなたに向けて書いたものです。嫉妬の苦しみから解放されるための一助となることを願っています。 嫉妬とは何か 嫉妬は複雑な感情です。話をすっきりさせるため、一般的な話から始めましょう。嫉妬は、以下…

弱者らしくあらねばならぬという規範

貧困JKに始まったことではない。日本にはどういうわけか「弱者は弱者らしくあらねばならぬ」という規範がある。弱者に対して「弱者はかくあるべし」という弱者像を押しつけ、その弱者像から外れた者を批判・排除する。ものさしに合わない者が「弱者」として…

【注意喚起】RAPTの人

結論から言うとRAPTの人は統一教会系の宗教である可能性が高いです。統一教会から派生した新興宗教はたくさんあり、日本にも「摂理」という新興宗教が入ってきたことがありますが、RAPTはそのうちのひとつでしょう。以下、その理由です。 ◎ 用語 統一教会用…

オリゲネス『諸原理について』3:6:5

5. The last enemy, moreover, who is called death, is said on this account to be destroyed, that there may not be anything left of a mournful kind when death does not exist, nor anything that is adverse when there is no enemy. こういうわけ…

苦しみの意味の扉が開かれるとき

ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われ、半殺しの目にあった。そこにクリスチャンが通りかかり、「あなたの苦しみには意味があります。神に目を留めていなさい」と言い、去って行った。 これはサマリヤ人のたとえをもじったただの皮肉だが…

福音を伝えるとは、世界の隠された真実を告知すること

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書三章十六節) これを伝えたいと思います。この最も有名な聖書の一節で、福音を伝…

ルター『大教理問答』に見る敵を愛さない罪

ルターは『大教理問答』(1529年)で、敵を愛さない罪について語っている。正確に言うと、「敵を愛さない罪」という表現は出てこないし、直接的に言及しているわけでもないが、その概念が明らかにある。 『大教理問答』は素晴らしい説教だ。堅苦しいタイトルと…

ナラティブとしてのキリスト教信仰

Mちゃんがこういう話をしてくれた。 「どうしてイエスさまを信じるようになったかって、人に話すたびに説明が変わることない?あるときには、ある本を読んだことがきっかけでと話したり、またあるときには、教会の礼拝に初めて出たときに涙が止まらなくなっ…

『義認の教理に関する共同宣言』がすごい

ローマ・カトリック教会とルーテル世界連盟が1999年に出した『義認の教理に関する共同宣言』が素晴らしい。宣言の文章自体が素晴らしい。宗教改革以後カトリックとプロテスタントが対立してきた歴史を詳しく知らなくても、この宣言は読む価値がある。 この宣…

祈りに応えがないときにどうやって神に信頼するか

1 祈りに応えがないときにどうやって神を信頼するか。 これは何度でもぶつかる問題で、こうすればいいと一般化できるたぐいのものではないと思う。実存的な問題。その人ごと、その時ごとに違った結論に導かれるだろう。だから僕も、あたかも一般論を語るよう…

他人の偶像崇拝の罪を指摘することは難しい

クリスチャンの偶像崇拝について考える。 偶像崇拝とは何か。何をもって偶像崇拝と言えるのか。考え始めるとこれは思いのほか難しい。 偶像崇拝とは「神以外を崇めること」である。クリスチャンは三位一体の神を崇めている。だからクリスチャンにとって、三…

プロテスタントの聖書観は聖書のみか

よく言われるカトリックとプロテスタントの違いにこういうのがある。 ・カトリックは「聖書」+「伝統」 ・プロテスタントは「聖書」のみ この対比はわかりやすいが正確ではない。物事を単純化すると必ず抜けもれがある。しかもたいていの場合、重要な要素だ…

善を行え(脳筋)

C・S・ルイスの『キリスト教の精髄』には、「悪はそれ自体が目的にならない」といったことが書かれている。悪のために悪を行う人はいない。人が悪を行うとき、それが悪だからという理由で、ただそれだけの単純な理由で行うことはない。欲望がある。所有欲だ…

持っている者と持っていない者

ヤコブの手紙1:9-10 「貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。」 福音はすべての人に語られた救いの知らせであるけれども、その語り口は人によって違う。その人ごとにふさわし…

神の愛と永遠の責め苦についての対話

A「長くても100年程度の人生で犯した罪のせいで、死後に地獄に行って永遠の責め苦を受けるのって理不尽じゃない?」 B「どうしてそう思った?」 A「だって、神は愛なんでしょ。それなのに、有限な人生の中で犯した罪の罰として、永遠に苦しみを与えるのは矛…

ラディカル・オーソドキシーとは何か

(http://www.unifr.ch/theo/assets/files/SA2015/Theses_EN.pdf より、抄訳) ジョン・ミルバンクは「ラディカル・オーソドキシー」運動の礎を築いた一人である。ミルバンクはこの運動を七つの点に要約している。 (一) ラディカル・オーソドキシーは理性…

信頼ならない感情と契約としての愛

気分や感情というのものは不思議で、落ち込んだ気分のときには今まで一度も幸せなんて感じたことがないという気になってくるし、嬉しい気分のときには過去のいろいろな苦しみをゆるせるような気になってくる。 特に抑うつの気分はやっかいで、抑うつの気分に…

刈り取りの法則を境界線思考に適用することはキリスト教的なのか

ヘンリー・クラウド他『境界線』についての話題。 境界線思考では、刈り取りの法則を適用して、悪を行なった人の責任はその人に帰すべきであるとしている。たとえばアルコール依存で暴れる人がいるとして、周りの家族がその人の暴力・暴言に耐えるのは刈り取…