持っている者と持っていない者

ヤコブの手紙1:9-10 「貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。」

福音はすべての人に語られた救いの知らせであるけれども、その語り口は人によって違う。その人ごとにふさわしい語り方がある。「貧しい者/富んでいる者」の対比は、聖書の至るところで見られる基本的なものだが、福音の語りにも現れている。

貧しい者に語られる福音と、富んでいる者に語られる福音。物質的な貧富に限る必要はなかろう。弱い者に語られる福音と、強い者に語られる福音。困窮している者に語られる福音と、順風満帆な者に語られる福音。持っていない者に語られる福音と、持っている者に語られる福音。

この対比は、ある人はこっち側、またある人はあっち側と完全に区別できるものではない。ひとりの人でも、ある点では弱者だが、別の点では強者といったふうに、見方によるものでもある。また、コミュニティの中で相対的に弱者/強者になることもあろう。多くの場合はあいまいで、白黒つけられるものではない。にもかかわらず、この区別は大切である。

その理由は、福音を相手に適切に届けるために必要だからである。

ヤコブの手紙にその知恵がある。ヤコブの手紙が書かれた当時、手紙は教会内で回し読みされた。多くの信徒がその朗読を聞き、お互いに異なる生活背景を持ちながらも、同じ手紙によって信仰の励ましをいただいた。ヤコブがすべての人に画一的に同じメッセージを書いたのではなく「貧しい人たちは」「富んでいる人たちは」と語る対象を分けながら語りかけたからである。

このような気遣いはヤコブの手紙に限ったものではない。パウロは「妻たちよ」「夫たちよ」と分け、ヨハネは「父たちよ」「子たちよ」と分けた。もちろん、主イエスがそのように語り始めたのである。

ヤコブの手紙のこの箇所が、福音を語るためにどう参考になるのか。それは、こういうことだ。持っていない者に「あなたは本当は豊かに持っているのです」と語ることと、持っている者に「あなたは本当は何も持っていないのです」と語ることは、共に励ましの言葉になるが、語る相手が逆であってはならないということだ。